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人間観察レポート - Bクワドラント編

Bクワドラントの人たちの行動・考え方などを観察してみました。スケールがデカいです。


【元・旅行代理店経営⇒現・自家用機&航空免許をもっているビジネスオーナー】
夢はヨットで世界1周すること。 25歳の時に友達3人と起業した旅行代理店経営者だったときは、70歳くらいにはできそうだ、とおもっていたのが、ビジネスの世界に転向し不労所得で生活するようになって「50代のうちにできるんじゃん?」という勢い。
「デカイ夢」をもっていたため、それを絶対達成できないサラリーマンには1度もなったことがない。83歳になる父親も、気づくと自家用機でどっかいってるくらい元気。
(都内在住 だが気づいたら自家用機で 九州 にいた、とか)


【大学中退して渡米⇒露天商からはじめて米で環太平洋のショップオーナー⇒現在はヘルスケアビジネスでミリオネアーに】
とにかくビックになりたかった。だから大学を中退して渡米した。70年代のことだ。そのことを当時伊藤忠商事勤務だった父親に伝えると、「アメリカもいいけどメキシコもいいぞー」という反応だった。
渡米といっても、もちろん人脈はない。お金もない。ボーリング場やレストランの皿洗いを、英単語を壁にはって勉強をしながらして、生活費を稼いだ。ある程度お金がたまって、次に観光客相手におみやげ物の露天商をやった。旅行ブームで日本からも毎日わんさか旅行客が来た時代だった。
現在は米・ゴールデンゲートブリッジから車で10分の邸宅に住み、世界中を飛び回っている。今のビジネスを始めて一番よかったことは、金銭的にもそうだが、世界中に友達ができたこと。仕事で各国に行くたびに、世界中で友達がまっていてくれるのはなにより幸せなことだ。


【終戦直後の親の代からの竹下通りの事業家⇒別の事業を立ち上げ再び成功へ】
終戦直後から原宿にいた。当時まだ東京は焼け野原で、原宿から渋谷や新宿が遠くに見えた。幼稚園も原宿に1つしかない時代だった。そういう時代だから、親は飲食業をやっていた。飲食なら食いっぱぐれることはないから、と。そして自分も飲食1本で順調に親の事業を拡張していった。バブルごろには、不動産やリゾート開発も手がけ、一時期竹下通りのビルというビルが自分達の持ち物になった。
ところがバブルが崩壊し、街中に食べ物があふれる時代になり、長年やってきた飲食業はかげりを見せてきた。飲食業に愛着もあるし、飲食の世界でメディアに度々登場するような時代の先駆けをずっと走ってきた自負もある。
でも50歳にして、長年関わってきた飲食を捨てた。なぜなら時代がかわったから。時代がかわったら、自分もかわる必要があるのだ。ダメになるものにしがみついていたら、自分もダメになってしまう。
現在は、これから先の社会のニーズにあった別事業で成功し、孫や家族にかこまれ幸せな人生をあるんでいる。自分は25歳で結婚した昔から、なにより一番大事なのは「家族」だった。そしてそれを今も実践できているのは誇りだ。



【個人の芸能プロダクションで3億8000万の借金⇒ネットワークビジネスで借金を完全返済し悠々自適な人生
生まれがいい家で、20歳のころまだ為替が360円固定だった時代にでっかいピアスをしパーマをかけ、フランスに海外旅行にいってルイ・ヴィトンを買うような生活をしていた。また、日劇で舞台女優もしていた。
今の旦那(作曲家)と結婚し、これからは毎日好きな読書しながら生活ができる、と喜んだがそうは問屋がおろさなかった。大好きな原宿に住んでいたのが、子供が4歳になることには金銭的に苦しくなり、地方に移り住んだ。それでも借金は積み重なり、ある日気づくと2億にまで膨れていた。そして消費者金融の利子を入れると、3億8000万を返済しなくてはいけなくなっていた。旦那が個人の芸能プロダクション経営に失敗し作った借金だ。毎月の返済額は400万にものぼる。武富士やアコムの世話になり、50歳のころには毎日ヤクザが取り立てにくるようになった。旦那は夜逃げを考えた。個人破産も考えた。自殺も考えた。だけど私は逃げる事に反対した。
なぜならそのころ美容院を経営していて、近所に知り合いがいっぱいいたのだ。そして一番重要なことは、家から30mのことろにネットワークビジネスで億万長者になった人がいることだった。 「そんなの返してやるわよ!」と毎日ヤクザを怒鳴り追い返し、寝る間を惜しんで皿洗い、美容室、ネットワークビジネスと死ぬ思いで生きていた。
今はそのネットワークカンパニーで世界の数十名の地位にまで登りつめ、とうの昔に3億8000万の借金は完済し、自分の食べるものもないつらい経験から世界の難民に食料ボランティアを毎月大量にし、悠々自適な生活をしている。


【独立思考のサラリーマン⇒3年間のチャレンジで現在は不労所得生活】
ずっと独立思考をもっていた。20代前半のバブル期に一度耐久製品のネットワークカンパニーに関わった。バブル期で買ってくれる人はいたしシステムは好きだったが、耐久製品だったためぜんぜんレバレッジがきかず、労働給みたいでやめた。
それから10年ほどたち、 現在はインターネットと消耗品のネットワークビジネスで夢の不労所得生活に。夢だった西新宿にも住めている。夢はいっぱいある。でも、ロバート・キヨサキみたいにみんなに自分の不労所得生活までのノウハウや知識を与えて、その人の人生を変えられるような教育系のビジネスを始めるのがもっかの夢だ。最近では日経ビジネス(2005.7.18号)に、同特集のサイバーエージェントの藤田社長なみの大きな紙面スペースで取り上げられた。ネットワークビジネスでの収入は、あくまで自分のビジネスを始めるための資金で、他にもこれからいろいろビジネスを起こしたい。